私は推しについて語れない。(2018/03/19)

肩身の狭いオタクだよ。二次創作も出来ないんだから尚更よ。
オタクってさ、好きな作品について言葉を尽くして語ったり考察してたりするイメージを持った人多いと思うんだけど、私は推しについて語れない。しんどい。

 

 

Twitterやブログで熱く語っている人を見かけると、正直羨ましくて仕方がない。自分の力で考えを巡らせてそれを言語化するって超凄いわ。その思考力と文章力って一体どうやったら手に入る?

 

それなりに本は読んできたつもりだし、二次創作の小説だってめちゃくちゃ読んできた。
でも、自分で何かを考えて形にするっていう行為は、ただ文章を読むのとはわけが違うんだよな。今更ながらそれを痛感している。Twitterを始めたり自分で小説書いたりするようになって特に思う。

 

たとえ二次創作が出来なくても、推しについて熱く語る人はいる。そういう人を見てると作品に興味がわいたりもするし、そうならなくてもその人自身に興味がわくことだってある。
ふぁぼや「分かりますーほんまそれ!」みたいな言葉も貰えたりするんだと思う。分からんけど。
だけども推しについて語れもしないオタクって、存在する意味はあるのか?って感じてしまうんだよ。
自分自身に対して強くそう感じる。私は果たして存在する意味はあるのか?オタクと自称していいのか?

 

少し前にTwitterで「オタクなら長文で推しを語れ」的なタイトルの記事を見かけたけど読まなかった。きっと読んだら精神が死んでしまう。

 

10代の頃は溢れ出る妄想が止まらなくてブログやTwitterに吐き出さないと落ち着かなかった。今でもその頃の書き込みを見ると楽しそうなんだよな。推しについて語る人って楽しそうなんだよ。
今は本当にゴミクズみたいなことしか出てこない。推しについて話せと言われたら「尊い」とかそういうありきたりな"単語"しか出てこないんだ。

しんどい。超しんどい。


私だって仙道彰について考えたい。彼の一日を妄想したいし「仙道彰について」ってプレゼンしてみてーわ。
桜木花道についての考察だってしたい。「あいつは本当にすげー奴なんだ…」って熱く熱く語りたい。

でも言葉が出てこない。文章を紡げない。
もどかしい。歯がゆい。恥ずかしい。苦しい。しんどい。

 

こんな、こんな状況を本当に胸張って「この作品が好きです」だなんて言えるのか?

オタクは語らなければいけないのか?原作の細かい部分まで汲み取って考察しなければいけないのか?
私は彼らのことが本当に好きなのか?愛してると言えるのか?
「オタク」って何だ?一体何なんだよ?

 

「考察"しなければいけない"」とか考えてる時点でオタクに不向きなのかもしれない。
考察って好きでやるものだよな。その作品について理解を深めたくて自らするものなんだ。自然と勝手にやっちまうもんなんだよオタクって。深読みってやつ?
それを「しなければいけない」って考えてる時点で私はもう手遅れなのかもしれない。

見向きもされやしないんだ、こんな人間は。
無理矢理絞り出した妄想なんて面白いわけないだろ。
ただ「尊い」「マジやばい」みたいな単語だけで推しの魅力が伝わるわけないだろ。そんな奴をTwitterやブログでフォローしてたってつまらないだろ。

 

そんなこと、私だって分かっている。だからこんなにも焦って焦って苦しいんだよ。

語れなければ存在してはいけないのか?
二次創作が出来なければ存在してはいけないのか?

何なんだこの感情は。
誰か助けてくれ。
私は、私はまだ推しのことを、スラムダンクのことを好きでいたい。
好きでいたいんだよ。 
「しなければいけない」だなんて、思いたくないよ…。

私は推しについて語ることができない。